井村恭一「フル母」(『文學界』2008年5月号)、島本理生、村上春樹、森見登美彦など

※かなりきついことを書いていますので、気に障る方もいらっしゃるかと思います。ご注意ください。
前作「不在の姉」(『文學界』2004年9月号、第132回芥川賞候補)に続いて、名前などは異なるものの、また犬とふとった姉が登場します。この作品も「純文学って難しい……」と思わせる小説でした。「青と黄色の目立つ服」というのはアンドレ・ブルトン『ナジャ』から来ているのかな? とかそんなことくらいしか。
ただ、「難しい」と思うだけではなくて、なんだかもやもやしていることがあります。
前作の「不在の姉」の方が、いろいろと気になる点がありつつも、なんだか今作よりも面白かったような気がするのです。前作の気になる点というのは、「家族がいつ来るかもしれないのに、地下道なんかで、あの程度の女性の仕草を合図と受けとって性行為に及ぶものだろうか?」とか、「登場するのがメス犬、それに豚……これもいわゆる『メス豚』だろうか。そして、このアルバイトの女性の得意料理も(作中では出てこないけれども)ブッタネスカ*1だったりするのかも? そういうのを狙っているのだろうか」とか、「最後は彼女がアパートに引っ越してくるところで終わっているけれども、その後きっと彼女は出ていくだろう」とか、いろいろ考えさせられる点でもあったので。
あと、最近島本理生作品を続けて読んでいるのも、こういう風に疑問に感じるところが多々あるから読んでしまう^^;というところがわたしにはあって、それは書き手の「人間性」みたいなものに興味を持っているということなのかもしれません。
ぱっと見はけっこう異なりますが、食生活などのおしゃれっぽさを抜きにすると、

  • 島本作品によく登場する年上の男性(『ナラタージュ』の葉山先生など)
  • 井村作品の「わたし」
  • 村上春樹作品の「僕」

はよく似ていると思います。
これらの方々で辻仁成江國香織冷静と情熱のあいだ』(角川文庫)みたいなものを書いたらとても面白いものができるだろうと思います。女性作家は20代の女性を主人公に、男性作家はその彼女の恋愛相手となる30〜40歳くらいの知的職業(小説家含む)の男性を主人公に。それで、『ナジャ』『死の棘』『ノルウェイの森』みたいにならずになるべく明るく終わればけっこうわたし好みかなぁと。ひとりでやったのが絲山秋子「袋小路の男」「小田切孝の言い分」(『袋小路の男』所収)ですね。あれはとても面白かったです。
うーん、ただわたし好みとなると、決まったパターンになってしまいますね。例えば、森見登美彦先生の『太陽の塔』を水尾さん(主人公の恋人)になった気分で書くと、最後は(うまく書けなくて、理屈っぽい物言いでアレなのですが)

森本*2君がわたしのことを好きでどうしていいかわからない状態になっているのは、頭では理解しています。ですが、わたしだって生身の女性なのです。もう少し距離を置いて、頭を冷やしてからやり直しませんか?

というような、わかりきったハッピーエンドになってしまいます。やっぱり、『太陽の塔』はああいう独白の、いろんな風に読めるラストがいいのでしょうね。作家さんってすごいなぁ。

*1:娼婦風スパゲティ

*2:単行本版では主人公の名前はこうなっていました。