森見登美彦先生インタビュー(2010年6月21日更新分)

小学館の定期購読誌『きらら』2010年7月号に『ペンギン・ハイウェイ』についてのインタビューが掲載されています。
ご注意:店頭においてある書店もあるらしいのですが、わたしが問い合わせたところ、年間の定期購読誌ということで書店では扱いがないそうでした。

以下にインタビューをコピー&ペーストしておきます。

森見登美彦ペンギン・ハイウェイ
割り切れるものと、理由は分からないままだけど惹かれるもの。その両方を書きたいという欲求があります。

 郊外の住宅地に突然現れたペンギンの群れ。みなが首をかしげるなか、小学4年生の“ぼく”は、さらなる不思議な光景を見る……。森見登美彦さんの新作『ペンギン・ハイウェイ』は大人びた、でもまだ未熟な少年が未知の世界と対面するファンタスティックな長編小説。単行本10作目にしてこれまでとは異なる世界観を描いたきっかけとは?

郊外を舞台にしたかった

 オビに大きく「森見登美彦、新境地へ!」の文字。そう、本書の舞台は京都でもなく、主人公は多くの作品に登場する大学生たちでもない。もちろんこれまでもさまざまな試みに挑んできた著者だが、本書は時代も場所も特定できない、ある都市の郊外を舞台にした少年の物語という点で、これまでの森見作品とはまったく作風が異なるといっていい。

「もともと郊外を書きたかったんです。実は、デビュー作の『太陽の塔』で京都を舞台にする前に書いていたものも、郊外の話でした。でもそれがうまくいかなくて、京都の・腐れ大学生・の話にしてみたら書けたので、その後はその流れに乗っかってきた感じで」

 本書は原点に戻り、郊外の町を舞台に選んだ。そこは海から離れた場所にある、野原や森の残る住宅地。

「厳密にその場所を書いたわけではないけれど、自分が小学生の頃からずっと住んでいた、奈良の郊外のイメージですね。どうも、京都といい、今回の郊外といい、実際に住んでいた場所のほうがイメージがわきやすい(笑)」

 そこに暮らす小学4年生の“ぼく”、アオヤマ君は偉い人になるため勉強を重ね、本もたくさん読む理知的な男の子。幼い少年を主人公にしたことにも理由がある。

「デビュー前に書いていたものは、中学生や高校生が主人公でした。それで郊外が舞台となると何も書くことがなく(笑)、悩みとかヘンなドラマを捏造してなんだか薄暗い話になってしまっていて。それを回避するために、もっと違う人間を主人公にしようと思い、ちょっと変わった小学生にしたんです。ヘンに向上心があって、めげないというキャラクターです」

 研究熱心なだけでなく、いじめられても動じない芯の強さも特徴的。例えば、水泳の授業中に同級生たちに水着を脱がされてしまっても、水から出てそのままスタスタと歩いて周囲を圧倒させてしまう。読者としては、少年が主人公というと幼い頃の森見さんと重なる部分も多いのではと邪推してしまうが、

「明るくてカラッとしているところは小学校生の僕に通じていますね。僕が薄暗くなったのは中学生のときなので(笑)。でも僕はいじめっ子にちょっかいをだされるとすぐに泣いてしまう子でした。だからこそ、こういうめげない子がいたら痛快だなと思ったのかもしれません。小学生の悩みって、からかわれることに対する心理的な辛さもあると思うんですが、それに対して動じないというのがいちばんのリベンジになりますから。アオヤマ君があまりに強いのでいじめっ子が対抗できないくらいになってしまいましたが(笑)」

 少年だからこそ遭遇するワンダーも魅惑的。例えば、数式の「=」は「○○の答えは××」である、という意味ではなく、「同じ」という意味だと知ってアオヤマ君が驚くシーンは、まるまる森見さんの実体験だという。さらには、死や可能世界への考察も綴られていき、幼い頃似たようなことを考えていた、と思う読者も多いのでは。

「生き物がなんで生まれてきたのか、宇宙の果てはどうなっているのか。そういうことは子供の頃によく考えていたこと。あの頃見た風景や感じていたことを全部書き込んだので、小学生を主人公にしたものはこの一冊を書いたからもういい、と思うくらい」

少年と年上の女性、そしてペンギンと〈海〉

 ただもちろん、森見作品であるからには、少年の日常を淡々と描いたものであるわけがない。まず、大きな出会いがある。アオヤマ少年が親しくなる歯科医院のお姉さんだ。二人は「海辺のカフェ」で一緒にチェスをするくらい親しい仲になっていく。男の子とお姉さん、という登場人物は、当初からイメージしていたという。

「僕の小説には年上の女の人が出てくるんですよね。『四畳半神話大系』でも歯科医院の羽貫さんという女性が出てくるので、もうどれだけ歯科医院のお姉さんが好きなんかっていう(笑)。最初は羽貫さんとかぶるなとは思ったんですが、学校の先生でも近所に住むお姉さんでもないな、と感じていて。主人公の乳歯が抜けるとか、甘いものが好きという設定との絡みもあるので、歯科医院のお姉さんという設定がしっくりきたんです」

 実はこのお姉さんが不思議な女性。彼らの町に、ある日突然アデリー・ペンギンがたくさん現れて騒ぎとなるのだが、アオヤマ君は、お姉さんが空中にコーラの缶を投げると、それがペンギンに変わる場面に出くわす。しかしお姉さん自身、その力をコントロールできていない様子。そのため彼は、“ペンギン・ハイウェイ(ペンギンたちが海からあがったときに通るルートのこと)研究”と名づけて、この奇妙な謎に挑むことになるのだ。さらには、同級生のハマモトさんが研究している謎めいた〈海〉なる物体も登場して……。

「お姉さんに不思議な能力があって、それを男の子がなんとか解明しようとするのだけれど、それが思っていたのとは違う方向にいく、ということは最初に担当編集者と話していたんです。でもそれがどんな能力かも分からなくて、連載時は書きながら迷走していて。実は、雑誌掲載時には〈海〉という存在は登場しませんでした。単行本にするときにきちんとしたシステムを作り直したんです」

 ぺンギン・ハイウェイは実際にある言葉。不思議な現象のイメージの源はその言葉と、そして幼い頃から漠然と抱いていた“世界の果て”という感覚、そしてスタニスワフ・レムのSF小説『ソラリスの陽のもとに』だったという。実際このレムの小説にも〈海〉という言葉が出てくる。

「子供の頃に父親とドライブに行って車の外の景色を眺めていると、よく知っている世界が途切れて見慣れない世界が始まっていく感覚があって。がらんとしたバスターミナルや空き地を見て、“世界の果て”ということを妄想していたんです。なので、今回は“世界の果て”に到達するような話にしようと思っていました。そこに、郊外にペンギンがポツンと立っているイメージがわいて、その妄想を組み入れていきました。『ソラリス』は、美しい小説だなあと思っていて。自分たちとまったく違う世界の惑星ソラリスの海と、人間たち側というふたつの世界があるんですが、人間側の論理や理屈の通じなさかげんが描かれていると思う。それで“世界の果て”の向こう側とこちら側に境界があるということを書いてみようと、話を組み立てていきました」

 確かに、今回の作品はファンタジーではあるけれど、どこかSFの匂いを感じさせる。

「いえ、SFと呼ぶのはおこがましい(笑)。ただ、これまで書いてきたものと比べると、人工的な感じはするかもしれませんね。今までも因果関係がまったく分からない話も書いてきましたが、今回は分かるものと分からないものとに線引きをするということを意識しました。お姉さんとペンギン、〈海〉との関係性やそのシステムについては、男の子が全力を尽くして解明して、きっちりと説明していく。それが分かりやすいという意味ではSFチックかもしれません。でも、どうしてそういう現象が起きるのか、根本的なところは、ブラックボックスに入ったままなんです」

自分の少年の頃をこの一冊に詰め込んだ

 理解不能な向こう側の世界とこちら側の世界のイメージ的な違いも大切にした。例えば、アオヤマ君とお姉さん、そして同級生たちが興じるチェスゲーム。

「主人公が住んでいる世界を、数学的な、きちんとしたものにしようと思ったんです。升目の揃ったチェス盤や、主人公が使っている方眼ノートや、彼らが遊ぶレゴブロック、子供たちが口にする相対性理論などは意識して書き込んだものですね」

 だからこそ、不可思議な現象の説明がつかないさまが際立ってくる。つまりこれは「説明されるもの」「説明できないもの」が対峙する話でもあるのだ。そもそも小説において何を説明するか何を説明しないか、そのバランスは非常に大事なところ。

「僕はオカルト的なものには興味がないけれど、それは安っぽい論理で説明してしまうのが嫌だからです。だから今回も、分からないものは分からないままにしてある。これまでも例えば『きつねのはなし』なんかは裏で何が起きているのかは分からないように書いた。そういう描き方が好きなんですね。でもそればかりだとカタルシスがないので難しい。それもあって、今回は一定部分までは謎を解く、ということにしたんです。割り切れるものと、理由は分からないままだけど惹かれるもの。その両方を書きたいという欲求があります」

 ペンギンが町をよちよち歩くファンタジー的な世界の中で、少年は年上の女性に無自覚なまま淡い恋心を抱く。そんな可愛らしい話かと思いきや、後半は一気に加速度が増して展開し、驚きの景色が広がり、さらには爽やかであるけれどもなんともほろ苦い、という奇妙な感覚にとらわれる。この後半の流れは、もともと考えていたのだろうか。

「あれしかあるまい、とは思っていました。でも読み進めていったときに呼び起こされる感情は書いてみないと分からない。それでも涙、涙のラストにはしない、とは思っていました。そこらへんの力の入れ具合は、どうも感傷的になることを恥ずかしがってしまうようで。実は、終盤の『海辺のカフェ』のシーンは当初今のかたちよりも短かった。それでもそこはちゃんと書きましょう、と担当編集者に言われまして(笑)」

 後半、少年はそれまで無自覚だった自分の感情に気付くこととなる。小学生の一人称に徹しながら、ここまでの理論とファンタジー、そして心の成長を描きこむということも、新たな挑戦だったのではないだろうか。

「『夜は短し歩けよ乙女』の乙女のパートを書いたことが参考になったというか。自分とは年齢がまったく異なる人物も書けるんじゃないかとは思っていました。ただ、一応感触をつかみたくて『くまのプーさん』を読んだんです。どこをどう参考にしたかは説明しづらいんですが、文章のリズム感のようなことは考えました。あとは冒頭の『ぼくはたいへん頭がよく、しかも努力をおこたらずに勉強するのである』という出だしから始まる部分を書きながらも何度も読み返して、そのリズムを保つようにしていました。ただ、本当に小学生が書いたような文章では長編として持たない。ある程度まっとうな文章で書きつつ、ところどころで子供らしさを出すバランスは考えていました。結構インチキなんです。本当は小学生じゃないけれど、これ見よがしにアホなことを書いたりして、そのギャップで錯覚を起こすようにしています(笑)」

 大人びた口調だけれども、ときに幼さを見せる少年が、大切な存在を守ろうと、自分の力で不可思議さと向き合おうとしたその顛末。この深く切ない余韻を残す本書は、やはりオビにある通り、森見さんの新境地と呼びたくなる。

「確かに新しい試みだとは思っていましたが、新境地といえるかな、というのが書き終わってから感じたこと。それに、新境地を開いたけれど、すぐ閉じると思う(笑)。というのも、これからもしばらく、京都の話を書き続ける予定なんです。今回ほどの新境地はなかなかないかもしれませんが、これまでも小刻みに新しいことをやってきたように、当面はジワジワと開いていくつもりです」

(文・取材/瀧井朝世)
http://www.quilala.jp/

ふむふむ。新境地はおめでたいことですが、やっぱりこれまでの路線のようなものも読めないと寂しいので、いろいろ楽しみです(*^_^*)

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