森見登美彦インタビュー「現実と妄想のはざま 森見登美彦氏の新作『美女と竹林』(朝日新聞大阪本社版、2008年10月4日)

  • なかなかよいインタビューでした(*^_^*)
  • 一部を引用させていただきます。

このエッセーの大きな特徴は、主語が「僕」でも「私」でもなく「登美彦氏」であることだ。こうした文体は、敬愛する内田百けん(「けん」はもんがまえに月)の『百鬼園先生言行録』や、夏目漱石の『吾輩は猫である』から着想を得た。

 そもそもは、「登美彦氏」を主語に日常をつづったブログが、こうした文体の出発点だ。「ブログは一人称で書くと、生々しい感情を垂れ流してしまいそうだった。三人称を使ったのは、客観性を強制するため。私は基本的に恥ずかしがり屋なので、自分のことを書くのはなんとなく抵抗があり、それをごまかすという意味もあります」

 何度も竹林に足を運んだのは本当の話だ。森見さんは京都大大学院で竹の研究に取り組み、竹林との縁は深い。「竹林を刈る気持ち良さを知り、これは一生の財産ではなかろうかと思います。(ファンだと公言している)本上まなみさんが竹に似ている、という強引な理屈を発見できたことも収穫でした」

『美女と竹林』の「登美彦氏」は、あくまで作ったキャラクターで、こうありたいという理想でもあり、実際の自分とは違っているという。

 「本人は無口だし、そんなに飄々(ひょうひょう)としてもいないのですが、登美彦氏は饒舌(じょうぜつ)で、飄々としたところもあります。だからこの文章を読んで、さらに作者本人に対する誤解を深めてしまう……という恐れは常にありました。しかし、これはもうしょうがない。書く人間としての『業』です」

 小説とエッセーの中間のような作品をめざした。とはいえ、事実をもとにした話なので、妄想を広げ過ぎるわけにもいかず、悩みつつ書いた。

 「実際にやっている竹の手入れは、ごく平凡な作業。なんとなく不完全燃焼という感じはありました。だから後半で未来予想を書いた時には、せいせいしました。読んでいる人も飽きただろうという考えがあったのと同時に、自分も完全な嘘(うそ)話を書いてせいせいしたかったから」

 やはり、本領は、ファンタジーで発揮できるようだ。(田中京子)

ふむふむ。

それにしても、写真のキャプションの

『美女と竹林』の「登美彦氏」ほど饒舌ではない森見登美彦さん=京都市上京区

にはおおうけです(*^_^*)

http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK200810040045.html

http://d.hatena.ne.jp/Tomio/